ひぐらしのなく頃に業が沙都子による梨花への宣戦布告で終わりをむかえ、業の世界は旧作の世界とは違うと言われており反転説・鏡の世界とされ数々の反転したシーンやエピソードがあり、そして羽入がいなくなりエウアが現れます。どのような違いがあり影響しているのか考察したいと思います。
鬼騙し編
『旧作』朝のシーンが圭一のみ。圭一がL5発症しレナと魅音を殺害。圭一自殺。鷹野と富竹死亡。
『業』部活メンバー5人のシーン。鷹野と富竹行方不明。レナがL5発症圭一を襲うが逆に撲殺。梨花と沙都子が死亡。圭一がフラッシュバック。圭一L5発症。
「鬼隠し編」と同じく圭一の撲殺で始まってますが、「業」では梨花が引き戻され羽入と会話してますね
会話から100年の時を繰り返した後予期せず引き戻されたという感じじゃな
梨花が圭一に助言して惨劇を回避しようとしましたけど、駄目でしたね
圭一は信じようとしたがレナがすでに遅しという感じじゃったな
旧作では圭一がレナと魅音を撲殺し圭一は自殺だったので、「業」はまた違うカケラなんでしょうね
綿騙し編
『旧作』魅音と詩音が入れ替わる。人形はレナに。詩音L5発症、富竹・鷹野・圭一・詩音が祭具殿に侵入。魅音、詩音、梨花、沙都子が死亡。
『業』4人が祭具殿に侵入、行方不明に。魅音と詩音入れ替わる?人形を魅音に。梨花、沙都子、魅音、詩音、おりょう、公由が死亡。圭一地下牢へ。
「綿騙し編」はいくつも謎を残してましたね
まずは魅音と詩音の入れ替わりじゃが、『業』でも入れ替わっているとされておる
お昼ご飯食べ損なって詩音がお弁当持ってくるってアレですよね、確かに何で詩音?とは思いました
旧作では詩音が最後まで魅音のフリをしてという感じじゃったが、『業』では沙都子と死んでおったのがどっちじゃろうな
ですが、「綿騙し編」ではそれぞれの死亡原因の違いはありますが、旧作との大きな違いはなかったように見えます
梨花が助言する事で惨劇を回避しておるから少し違うが結局新たな惨劇で終わっとる
旧作では優しく話を聞いているのに、業ではせっかく助言しているのに的な感じで梨花がガチオコになってますもんね
旧作では梨花の助言なしに圭一が魅音に人形を渡す世界もあったからのう
そうでしたね。業ではまた梨花が助言しているのでやはりこれも違うカケラなんですね
祟騙し編
『旧作』鉄平登場、沙都子を虐待。圭一が鉄平を撲殺?。幼い沙都子がオヤシロ様像の右腕を壊す。雛見沢大災害(終末作戦)。入江、鷹野、大石、梨花死亡。
『業』お地蔵様が蹴り倒される。鉄平登場、薬を服用。村全体で沙都子を守る為に動く。鉄平が圭一を襲撃、逆に撲殺。大石L5発症。梨花、魅音、詩音、沙都子死亡。
旧作も業も沙都子を中心とした話で同じですね
旧作は圭一が終始周りを疑っておったり、話が食い違っていたりで圭一妄想説じゃったな
そうですね・・鉄平が実際死んでいなかったり、祭りに参加していたり・・
それと「業」は「祟殺し編」の世界かと思うたら「皆殺し編」にも酷似しておった
鉄平が雛見沢に帰ってくることが梨花にとってはイレギュラーな事で世界で鉄平=惨劇となるとそれを回避するのが「業」になりますよね
「業」の世界では虐待のシーンはないが、児童相談所と掛け合うのは同じじゃ。しかし今回は沙都子演技説があるからのう・・
たしかに、でも「祟殺し編」→「皆殺し編」→「祟騙し編」と沙都子を救うカケラに変化していってますよね
オヤシロ様
旧作とは違うことが多く見られた『業』の中でオヤシロ様の手が逆という事で反転説・鏡の世界と言われている。沙都子が幼い頃に右腕を壊してしまい直したとしても逆には直さないだろうし、これ以外にも水車が逆回り、エンジェルモートの看板の位置、関係ないかもしれないが富竹が煙草を吸っている。これだけ違うと作画ミスではなく何か意図がある気がする。そしてエウアが錫杖を持つ手も左から右に変わる所がある。
旧作との違いがあったのは「鬼騙し編」から「祟騙し編」までですね
オヤシロ様の左腕が上がっている『業』ではエウアも錫杖を左手で持っておる。そして沙都子が100年のかけらを見るときには右手に持ち沙都子が繰り返す者になった時にはまた左手に持っておるんじゃ
梨花のかけらは羽入が存在していた時のもの・・左手の時はエウアの影響で作られる世界という事でしょうか
オヤシロ様が羽入からエウアに交代したから違いが出たのかもしれん
反転説の他に神交代による別世界説ですね
旧作と業の世界には違いが出てきましたが、そもそもオヤシロ様が変わってしまったら世界も変わるのは必然的な事だという事でしょうか。羽入=いい神様でエウア=悪い神様ですかね?悪というより小悪魔ですね!今回は個人的に気になった点でまとめましたが、旧作から違う世界へとかけらが変わったことで雛見沢全体が変わったのが旧作との大きな違いですよね。これがまた羽入復活!とかでまた反転するとかはなしにしてほしいと心から願います。